脳脊髄液減少症の診断と治療
編集 | 守山英二 |
---|
- 【 冊子在庫 】
電子書籍書店で購入
内容紹介
●診療実践から生まれた現時点の集大成!関係者待望の一冊!
●髄液の生理循環から検査、診断、治療法および治療成績、さらに小児の脳脊髄液減少症などを大判の紙面構成で明快に解説
●RI脳槽シンチグラフィー、CTミエログラフィー、MRI、MRIミエログラフィーの症例画像を掲げながら一つひとつ丁寧に説き明かす
●貴重な臨床データを豊富に呈示
●あくまで純粋に医学的な立場から病態の真実を究明する
序文
推薦の序
経験豊富な医師の意見が尊重されるべきである
本書は、守山英二先生があくまで主体となり、多くの章を執筆し、篠永正道先生をはじめ、脳脊髄液減少症研究会の中でも、最も早い時期からブラッドパッチ治療に取り組んできた、いわば「パイオニアの中のパイオニア」の数名も加わって執筆補強し、完成されたものである。
交通事故の鞭打ち症をはじめ比較的軽微な外傷にもかかわらず、その後に生じる頭痛、めまい、倦怠感など、様々な難治性の不定愁訴に、髄液漏れという脳脊髄液減少症(低髄液圧症候群)の病態が関与することを、篠永正道先生が、2003年に世界で初めて発表した。しかし、この新たな疾患概念の提示は従来の医学概念から考えると突拍子もない発想であり、しかも「日本発の世界初」であるが故に、医学界からの反発も強く、また、交通事故という金銭的補償の問題が複雑に関わることもあり、脳脊髄液減少症は、学会での純粋な医学論議だけでは収まらず、損保会社と患者が争う裁判が頻発し、司法の場で医学論争が繰り広げられる結果となった。
2004年頃の初期の裁判においては、損保会社の顧問医は「交通事故で脊髄の強固な硬膜が破れるわけがない」という意見に終始するだけのことが多く、真の意味での論争とならず、患者側(つまり「脳脊髄液減少症」側)が有利なことも多かった。ところが過去の文献を渉猟し、それを理論武装に脳脊髄液減少症治療の現状を批判した『低髄液圧症候群~ブラッドパッチを受けた人、または、これから受ける人へ~』(吉本智信、自動車保険ジャーナル、2006)が発行されて以降、裁判での形勢は、損保会社側に有利に傾くようになった。
本書は、脳脊髄液減少症という謎の多い病態の真実に迫るために、最新の臨床研究の成果を集大成したものであり、純粋に医学的観点から執筆されたもので、上述の『低髄液圧症候群』を凌駕する存在となることであろう。
守山先生は、本書のコアとなるべき部分を1年以上前に執筆し、そのプリントアウトを小冊子として仲間内に配っている(その意味では、本書は、守山先生にとって待ちに待ってやっと完成されたということになる)。本書には掲載されていない、その幻の序文の中で、彼は次のような一節を書いている。
本来はどの疾患においても、経験豊富な医師の意見が尊重されるはずであるが、外傷性脳脊髄液減少症に関しては、この疾患の臨床経験が少ない医師の反対意見が声高に主張され、脳脊髄液減少症研究会は[community]として軽視されている。「脳脊髄液減少症研究会が明確なエビデンス、診断基準を示さない」「健常者のデータとの比較がない」などとの批判もある。しかし、確立された疾患である特発性低髄液圧症候群(spontaneous intracranial hypotension;SIH)の診断基準にしても、国際頭痛学会の「国際頭痛分類第2版」には問題が多い。むしろ経験豊富な医師ほど、この診断基準に満足していない。
まったく同感である。例えば、TV番組で名医としてよく登場する脳神経外科医は、手術症例が多く、経験豊富だからこそ、学会の場でも、その医師からの、教科書や医学論文だけからは知ることのできない知識を真剣に学ぼうとするのである。経験豊富な医師に対して、学会上で「私は手術をしたことがないが、教科書や医学論文の知識から考えて、あなたの手術はダメだ!」と、声高に非難するとすれば、これはかなり滑稽な話である。
こう考えると、脳脊髄液減少症という病気は、いろんな意味で、特殊な、そして異常な状況に置かれている、と言わざるをえない。そして、この異常さについて考えてみると、脳脊髄液減少症は水俣病が抱えてきた問題との共通点が浮かび上がってくる。
水俣病は、チッソ水俣工場から排出された有機水銀中毒が原因であるが、現場で様々な症状で苦しんでいる患者に対して、国は「ハンター─ラッセル症候群」として知られる典型的な症例しか、長年の間、水俣病患者として認定しなかった。「ハンター─ラッセル症候群」とは、1937年にイギリスの農薬工場で起こった有機水銀中毒を、ハンターとラッセルが、動物実験に基づいてメチル水銀中毒であると診断し、知覚障害、運動失調、求心性視野狭窄、難聴、言語障害、振戦などの症状を有機水銀中毒の重要な症候群として1940年に報告したものである。1958年に水俣を訪れた神経学者マッカルパインが、水俣病が「ハンター─ラッセル症候群」と似ていることを指摘し、水俣病の原因究明につながったわけであるが、その後、認定審査会では、典型的な「ハンター─ラッセル症候群」と異なる患者は、重症にせよ、軽症にせよ、水俣病として認定されない期間が長く続いた。特に、四肢のしびれ感や疼痛(知覚障害)だけの症状の患者は、本人の自覚症状だけで、客観的に証明することができないことから、水俣病と認定されなかった。水俣で生活し、有機水銀を食物連鎖で摂取した住民が示す多彩な症状こそが、有機水銀中毒の真の姿であるはずだが、過去の医学論文に掲載された症状の方が、金科玉条の「規則」となってしまう、主客転倒の事態となったわけである。
「国際頭痛分類第2版」の診断基準に見られる「15分以内の起立性頭痛」や「ブラッドパッチ後、72時間以内に頭痛消失」には、臨床研究による医学的な証拠(エビデンス)は全く無く、また、患者の実情からかなり乖離しているにもかかわらず、国際頭痛学会の数名の委員が集まって合議で決めた、この基準が、現在は確固とした「規則」となっている。Mokri教授が発見し報告した頭部MRIの特徴所見(硬膜肥厚と造影増強)も、低髄液圧症候群を診断するための大きな役割を果たしてきたが、「このMRI特徴所見でなければ低髄液圧症候群ではない」という意見にも現在は利用されている。
重要なことは、患者の訴える症状に真摯に耳を傾けることであり、苦しんでいる患者の症状改善のために、真剣に取り組むことではないだろうか。
本書は、患者の視座に立った医学書でもある。
2010年 5月
美馬 達夫
脳脊髄液減少症研究会・事務局長
山王病院脳神経外科部長 国際医療福祉大学臨床医学研究センター教授
———-
編集にあたって
福山医療センター(当時は国立福山病院)で、はじめて脳脊髄液減少症の診断目的でRI脳槽シンチグラフィー(RIC)検査を行ったのは2002年7月のことである。現在までに700例以上に検査を行い、治療効果確認のRICを含めれば優に1000件を超える検査を行ったことになる。脳脊髄液減少症と診断した患者は400例を超え、その中の20数例が典型的な特発性低髄液圧症候群(SIH)であった。残りの患者はほとんどが何らかの外傷を原因~契機として発症していた。重傷頭部外傷、脊髄損傷など重症外傷は約20名であり、大部分はむち打ち損傷などの比較的軽微な外傷である。本書で示したように、時に難治例はあるがこれらの患者の治療成績は概ね良好であり、検査所見の改善を伴っている。
臨床医の目から見ると、外傷性脳脊髄液減少症の概念はすでに仮説ではない。発症から平均3年間、多数の医療施設をめぐり、治療法がないとされた患者の80%以上に硬膜外ブラッドパッチ治療(EBP)が有効なのである。診療開始後間もなく、このような患者を立て続けに目撃した際には、「この問題は2、3年で片が付くだろう」と考えたが、この予想は見事に外れたようである。日本脳神経外科学会、日本脳神経外傷学会(旧日本神経外傷学会)、日本整形外科学会などを巻き込む大問題となり、厚生労働省の研究班はスタートしたものの、当初の3年計画では結論が出るどころか目標の症例数も集まらず、さらに3年間延長されることになった。筆者も班長協力者として、新たに参加することとなった。
患者の多くが交通事故被災者であり、自賠責、損保による賠償さらには労災認定などの社会的側面が大きいのも紛糾の原因であろう。2004年に発表された「国際頭痛分類 第2版(ICHD-II)」もまた事態の混乱に拍車をかけたように思う。脳脊髄液減少症の名称が適切か否かは別として、この病態はICHD-IIでは従来SIHとされてきた病態と同じく、「7.2低髄液圧による頭痛」に分類される。この診断基準の問題点は本書で詳しく述べたが、特に「15分以内の起立性頭痛」は非現実的な必要条件である。これは、ある程度のSIH患者の治療経験があればよくわかる。率直に言って「傍迷惑な基準」である。
筆者は「脳脊髄液減少症研究会」の前身である「低髄液圧症候群研究会」の発足当時から、その活動に関わってきた。われわれ研究会が常に適切なデータを提示できたとは思っていないが、問題は主に批判する側にあったと感じている。その一例が以下の発言である。「新しい概念を一般社会に適用するためには、まず根拠を示し、診断基準を統一し、そして公表していく必要がある。そして、その概念が批判を受けながら医学界で確立されていくのではないだろうか」(吉本智信著、低髄液圧症候群、自動車保険ジャーナル2006)。実際は、新しい概念の提唱者に診断基準の統一まで求めるのは酷であろう。多くの場合典型例の症例報告から始まり、ある程度の症例数を報告するところまでがその責務であろう。普通の疾患であればその後は半ば自動的に、症例の蓄積、病態の解明、診断~治療ガイドラインの確立が多くの研究者、学会によって進められることになる。有志の集まりにすぎない脳脊髄液減少症研究会に、エビデンスに基づく完璧な診断基準を求めるのは不適切である。分野は異なるが高名な物理学者、故寺田寅彦博士の文章を引用する。大正11年の随筆であり、当時発表されたアインシュタイン博士の相対性理論に関するものである。
「学説を学ぶものにとってもそれの完全の程度を批判し不完全な点を認識するは、その学説を理解するためにまさに努むべき必要条件の一つである。しかしここに誤解してならない事で、そしてややもすれば誤解されやすい事がある。すなわちそういう「不完全」があるという事は、すべての人間の構成した学説に共通なほとんど本質的な事であって、しかもそれがあるために直ちにその学説が全滅するというような簡単なものとは限らないし、むしろそういう点を認める事がその学説の補填に対する階段と見なすべき場合の多い事である。そういう場合には、若干の欠点を指摘して残る大部分の長所まで葬り去らんとするがごとき態度を取る人もない事はない。アインシュタインの場合にもそういう人がないとは限らない。しかしそれはいわゆる「揚げ足取り」の態度であって、まじめな学者の態度とは受け取られない。「完全」でない事をもって学説の創設者を責めるのは、完全でない事をもって人間に生まれたことを人間に攻めるに等しい」(相対性原理側面鏡、岩波文庫 寺田寅彦随筆集 第二巻)。
人類史上の記念碑というべき相対性理論もその斬新さ、先進性のためににわかには受け入れられなかったようである。スケールは小さいが、下線部分はまさに「十分なエビデンスがないことを理由に、一部の無理解な医師たちからの批判の嵐に晒されてきた脳脊髄液減少症」に当てはまる。相対性理論の場合には純粋に科学的な論争であったろうが、脳脊髄液減少症については社会的な側面が大きいこともあってか、種々の思惑が入り混じり一種の拒絶反応を引き起こしたように思う。確かに「揚げ足取り」も存在したようで、必ずしも科学的、論理的な論争ばかりではなかった。
現在では外傷と脳脊髄液減少症の因果関係を支持するデータが蓄積し、故寺田博士の言う「全滅」すべき理論ではないことは明らかである。一方で残された課題も多い。RICを中心とする現在の診断技術は、一定の感度と特異度が担保され現時点では最善の診断法と考えている。しかし多少なりとも侵襲的な検査であるし、針穴漏出、硬膜外後注入は現在の技術レベルではごく低頻度ではあろうが、完全に避けることはできない。EBPも100%有効な治療法ではない。このような状況は脳脊髄液減少症に特別なことではないが、さらなる進歩のためには研究会の枠を超えてより多くの医師の力が必要である。このささやかな書籍が現状の正しい理解、さらに多くの脳脊髄液減少症患者の治療に役立てば幸いである。
2010年 5月
守山 英二
目次
Ⅰ.総説
Ⅱ.生理的髄液循環
Ⅲ.外傷と脳脊髄液減少症
Ⅳ.診断基準
Ⅴ.脳MRI所見
Ⅵ.RI脳槽シンチグラフィー
Ⅶ.脳MRミエログラフィーの有用性
Ⅷ.硬膜外自家血注入
Ⅸ.治療実績
Ⅹ.小児・若年者の脳脊髄液減少症
XI.むち打ち損傷とその周辺
XII.硬膜穿刺後頭痛