Dr.ヤンデルの病理トレイル 「病理」と「病理医」と「病理の仕事」を徹底的に言語化してみました
臨床医は全てを見たように語り、病理医は局所を語るように見る
内容紹介
病理医は何を見て、何を考えているのか。医療という壮大なトレイルで一体何をしているのか。病理医の立ち位置、臨床医との関わり、そして病理診断――病理医の無意識の領域に迫り徹底的に言語化する試み。
序文
序章
無敵の医学生・初期研修医たちへ
なぜ、私が病理診断学を「言語化」しようと思ったか
今から皆さんに読んでいただく「序章」は文字通り、本書の原稿の中で最初に書く原稿です。現時点で私のパソコンには原稿のファイルは一切ありません。目次はもちろん、書名すらも決まっていません。でも私はすでに、結構なボリュームの「序章」を書こうという気持ちで、外付けキーボードを膝に乗せています。
さあ、しばしお付き合いいただきましょう。
私はこの本を、病理学をほとんど知らない医学生や、病理診断に一切興味がない医学生、病理医に対する気持ちが何もない研修医に向けて書くつもりです。すなわち「病理の初心者」に向けたガイダンス本にします。出版元である金芳堂からの依頼もそのようになっています。以下に担当編集者Fさんによる「企画書の素案」の一部をお目にかけます。
- 医学生や初期研修医を主な対象読者とした、病理医の仕事や生態など「病理の世界」の全体像を把握するための一冊
- 病理医の仕事について知りたい、あるいは病理医を目指す学生や若い医師が、病理医の視点から見た医療全体を俯瞰できるような入門書
- 各科臨床医が読めば、病理医とのコミュニケーションを円滑にする共通言語を理解できるようになる本
- 全ての病理学専門書の一番最初に位置付けられるガイダンス本(はじめの一歩を踏み出す前の1冊)
なるほど、確かにこのような本には一定のニーズがありそうです。
Fさんからの提案を読み直してあらためて思ったことがあります。このテーマに沿って私が書くと、平易な文章と申し訳程度のイラストで穴埋めしたブログ系のライトな書籍……にはならないと思います。たぶん、そうしません。本書の表紙は明るいパステルカラーを背景にうさぎが踊るような、かわいい感じのデザインになるのでしょうかね。ありそうな話です。でも、表紙におもねることなく、中身にはゴリゴリの論理的な文章を詰めこむつもりです。なぜでしょう、私は序章を書こうと思い立って突然そういう気持ちになりました。できれば読者の皆さんには、これまで培ってきたであろう知性を全て使って本書を必死で通読してほしい、そう思っています。
……とここまでの文章を自分で読み返すと、これは他でもない私のために、私が自ら用意した檄文だ、と思います。
そもそも私は、想定読者であるあなたがた医学生・研修医の頭脳が、私の脳よりもはるかに優秀で高性能だと思っています。自分より賢い人に読んでもらう原稿を執筆するにあたって、自らを鼓舞し、奮い立たせることは絶対に必要です。しっかり覚悟して本気で取り組まなければ、あなたがたには歯が立たない。
……急に私が読者に対してへりくだったので、面食らった方もいらっしゃるかもしれません。でも別にこれは皮肉や忖度ではないですし、商売上の戦略とか本を売るテクニックといったものでもありません。あなたがた医学生や研修医は、私と比べればもちろんのこと、並み居る先輩方よりも、さらに言えば医学業界で働く誰よりも頭脳のスペックが高い。
なぜなら、医者は働けば働くほど、行動の責任領域が脳から脊髄にずれていくからです。脳で思考して行動するのではなく、脊髄反射でルーティンをこなすようになっていく。年を取れば取るほど、実績を重ねれば重ねるほど、偉くなればなるほど。
そのほうが高度な作業を高速でこなせる。
そのほうが早く正確に多くの患者を救える。
医者は年齢を重ねるごとに、若いときほど脳を(意識的には)使わなくなっていきます。今のあなたがたのように、頭脳を自分の意思で使いこなしている時間はだんだん減っていきます。少しずつ、行動が「無意識」に支配されるようになります。
ああ、そういうことか、と得心した人もいるでしょう。
新規の情報を処理する能力。
文章を読み、他人の情動を自身の中に再構築する能力。
新しい概念を創出する能力。
これらの能力については、あなたがたのほうがベテランドクターたちよりも数段上です。ぜひ、誇りに思ってください。これからあなたがたを悩ませるであろう性格の悪いオーベンや、性格はいいかもしれないが人当たりが悪いオーベンよりも、あなたがたの頭脳のほうがずっと優秀だということを。
脳が衰えた上級医たちは、代わりに「脊髄反射」をします。最近の脳科学的には「脳内反射」と呼ぶべきでしょうか。
無意識に手が動き、考える前に処方が電子カルテ上に記載されていく感じ。意図せずとも思考が列をなし、意識の深淵にあるブラックボックス内を貫通して、途中経路不明のままで行動が出力されます。あなたが脳内に張り巡らせている、けもの道のような無数の神経回路の一部が、上級医の脳では舗装され高速化されているのです。
でも、これは別に脳が優秀になったわけではありません。使用頻度の高いシークエンスが単に最適化されて、無意識下に連続発火できるようになっただけです。
そんな“反射人間たち”がいざ現場に立つと、医学生や研修医を圧倒するのはご存じの通りです。手技のスピードが段違いに速い。鑑別診断の量も質もハンパない。治療選択までに要する時間も、精度も、あなたがたは到底かなわないでしょう。
例えば、こんな経験はありませんか。
部活の追いコンで呼んでもいないのに上座に座った先輩ドクターが、「ウン百回挿管すれば手が勝手に挿管を終えるようになる」「ウン千件手術に入れば糸結びなんて指が勝手にやってくれる」「ウン万件カテをやればどんな冠動脈でも必ず開通させられるようになる」といった武勇伝を聞かせてくる、という……。
彼らの自慢話は鼻につきますが、それでもある種の極意を語っているように思います。医術の多くは無意識で手が動くレベルにまでルーティン化することではじめて人を救うレベルに達する、ということ。考えなくとも次の一手が出せることは、患者に安定した医術を提供するための合目的な技術として受容されるのです。それが医療の世界なのです。
でもねえ……
なんだか、これってモヤッとしませんか。
(以降、序章続く……)
目次
序章:無敵の医学生・初期研修医たちへ なぜ、私が病理診断学を「言語化」しようと思ったか
第1章:君たちはどう医きるか
1 医療人マップ 医療の三角形[概説]
2 病理医の立ち位置 医療の四面体[概説]
3 「診断」
4 「診断世界」における、病理医の立ち位置
第2章:病理医トレイル
1 消化器内視鏡医ルート
2 消化管外科医ルート
3 皮膚科医ルート
4 血液内科医ルート
5 「内科医」ルート
第3章:病理診断トレイル
1 手術検体の診断
2 生検の診断
3 クリニコ・パソロジカル・カンファレンス
4 研究会と症例報告
終章:くたびれはてた医療人へ なぜ、私が病理診断学を「言語化」しようと思ったか
トピックス
■2021-04-26
■新企画■「病理トレイル 書評リレーマラソン」
ご好評いただいております本書との連動企画がスタートします。その名も「病理トレイル 書評リレーマラソン」です。
本書について、病理医・臨床医の皆さまに読んでいただき、それぞれの視点から感想と、「病理」に関する考えを書評という形でまとめていただいたものを、テキスト投稿サイト「note」にて展開いたします。
「病理トレイル 書評リレーマラソン」と題したこのマガジンを通じて、「病理」とは、「病理医」とは、「病理の仕事」とは何かを感じ取っていただけると幸いです。当該URLは下記のとおりです。
noteマガジン:https://note.com/kinpodo/m/m89de2501607e