サイカイアトリー・コンプレックス 実学としての臨床
高齢者の精神症状と神経疾患の併存状況、鑑別に難しい診療について紐解く
内容紹介
患者さん、特に高齢者の表現の背景には、”心の動き”も含めた複合的な要因が存在しています。
正しく見立てられづらく、診療科をまたがり治療が錯綜しがちな「多病態併存」の読み解き方を、主に精神神経領域、内科領域の現場から解説しています。
先行世代の精神科医へのエディプス葛藤と、身体医学に対する劣等感を抱えた著者が、症状や疾患が織りなす複雑系を、精神科への苦手意識を持つ読者に向けて提示した一冊です。サイカイアトリー・コンプレックスにようこそ。
序文
はしがき
「精神神経領域の、高齢者のマルチモビディティ」というのが、最初に設定されたテーマだった。高齢者は多疾患が併存することが多く、診療が難渋することが多いため、近年プライマリケア領域でこのマルチモビディティの研究が進んでいるらしい。「らしい」と述べたのはあまりよく知らないからで、この学問についても詳しくないし、高齢者のマルチモビディティの臨床研究にも一切携わっていない。しかし「多疾患が併存し臨床判断が容易ではない高齢者診療」というのは私の日常であり、これを読んでいる医師ないしは医療従事者の日常でもあるのではないだろうか。
「学問」ないしは「研究」という視座から複雑な事象を扱うとき、まず行うべきことは定式化のための現象の単純化である。これをしないと研究にならない。しかし、そのようにして得たアウトカムを臨床にもう一度返すとき、果たしてこの現場で、今この瞬間にそのエビデンスはどこまで適用可能なのかという判断を迫られることになる。もちろん、そのまま適用できることもあるだろうし、そうではないこともある。高齢者診療のような混沌とした問題が入り組む現場では特に、エビデンスの埒外で判断しないとならないことのほうが、ひょっとして多いのではないかと思う。
本書では、「実学」という視座から高齢者診療を考えてみたい。医学は自然科学なので、科学の法則が意思決定の根拠になるわけだが、その科学現象たる疾患を取り巻く構造物は医者であり患者であり看護師であり、何にせよ生身の人間である。そこには不安に駆られた患者もいれば、寝不足により思考能力低下をきたした医師もいれば、息子の家庭内暴力にもやもやしながら働く病棟スタッフもいるわけであり、これらがそれぞれ勝手に意思を持って動き、相互作用を及ぼし合って現場というものは絶えず動いている。それを前提として、さらに患者には多疾患が併存し、ひどく混み合った病態を形成しているという実態が、高齢者の臨床である。
このような変数が極端に多い場で行われる一挙手一投足に、リニアに得られる解は存在しておらず、一つ一つの問題をおぼろげな部分を残しつつも何とか認識し、本当にこれでよいのかと迷いながら臨床判断を下していくしかないというのが、少なくとも私の目に映っている現実である。しかし、どこか最近の傾向として、エビデンスや、「〇〇理論」「〇〇モデル」といった一つの整った鋳型を用いることで、この複雑系をコントロール可能と考える態度が猖獗を極めているように思う。
私にはこのような傾向が、複雑なことを複雑なままで扱わねばならない不安への防衛にみえなくもない。もちろんその鋳型には、全体を俯瞰する見取り図として作用するポジティブな側面もあることはよくわかっている。しかし、その鋳型からはみ出した部分をゴミとして切り捨ててしまうことで起きてくるネガティブな事象にどれくらいの人が目を向けているのだろうか。
本書は、実際に現場でどう考えどう動くかということについて、極めて個人的な考えを記した。個人的な考えというのは曲者で、極端なことになるとトンデモ医療とか、カルトみたいになってしまう危険性をはらんでいるのだが、そこは私の医師としてのまともさというか、常識の力が問われていると思う。細かい部分で、読者と考えが一致しないということは、これはたくさんあるだろう。あくまで私はこう考えたというだけで、それが真理と言っているわけではないので、どうかご容赦いただきたい。
本書は3つの構成となっている。Part1「診療感覚を練磨する」では、私が最も携わる機会の多い精神神経領域や内科領域の高齢者のケースをもとに、無自覚でいることで陥りやすい視点や、個人の中に診療感覚を育てていくことについて考えを記した。Part2「表現形を読み解く」では、「診断」という鋳型ではなく「見立て」という視点を用いて、患者の表現形をどのように読み解いていくかということについて記した。本書の肝はこの表現形の立式にあると言ってよい。難しいことだとは思うのだが、表現形を見立てることができれば、非精神科医であっても、“精神科的”な患者を「精神科の診断基準」を使わずして見立てることができると思っている。Part3「実学としての治療」では、内科では必須の技術と言ってよい除反応や、治療抵抗性の“精神科的”な患者への介入方法、さらに薬を介した関わりの技術について記した。
どこかの教授でも臨床の大家でもない、ただの駆け出しの臨床医である私が、個の実感以外に何一つ裏打ちのない診療感覚を公開することなど恐怖でないはずがないが、この『サイカイアトリー・コンプレックス 実学としての臨床』という書名を持つ本書が、臨床を担う実務家一人一人の書棚で、速効性に遅効性に燃え始めることを、少なくとも今この瞬間は揺らぎなく信じている。
2021年7月
尾久守侑
目次
はしがき
Part 1 診療感覚を練磨する
Introduction
Chapter 1 仮説に居つかない
Chapter 2 未知を未知で説明しない
Chapter 3 遅れるトリアージ感覚
Chapter 4 境界線を育てる
Chapter 5 曇らない目はない
Part 2 表現形を読み解く
Introduction
Chapter 6 診断という虚像
Chapter 7 表現のプリズム
Chapter 8 「脆弱性+打撃→反応」の立式
Chapter 9 多重の嗅ぎ取り
Part 3 実学としての治療
Introduction
Chapter 10 除反応とファントム
Chapter 11 システム崩し
Chapter 12 鞘の内
覚書
参考文献
索引
著者プロフィール
トピックス
■2021.08.10
noteでの連載「編集後記」にて、本書に関する記事を公開いたしました。
「編集後記」とは、新刊・好評書を中心に、金芳堂 編集部が本の概要と見どころ、特長、裏話、制作秘話をご紹介する連載企画です。また、本書の一部をサンプルとして立ち読みいただけるようにアップしております。
著者と編集担当がタッグを組んで作り上げた、渾身の一冊です。この「編集後記」を読んで、少しでも身近に感じていただき、末永くご愛用いただければ嬉しいです。
編集後記『サイカイアトリー・コンプレックス 実学としての臨床』|株式会社 金芳堂|note
https://note.com/kinpodo/n/nd0bf556bd501